ある日私の息子が学校で星座を学んできて、星の観察が大好きになりました。ただのきらきら星だった夜空が、その日から突然、古い外国の神様の世界に変わったのです。彼の目はまるで映写機のように、その小さな体の中に詰まった壮大な物語を、大空に向かって映し出しているようでした。彼が見ているものは、他の誰にも見れない、彼の心の反射なのだと思います。
私にはここ20年ほど、ずっと考えていることがあります。それは、なぜ絵の中には空間が見えるのか、絵はこの世界の万物と同様 物質なのに、というような事です。はじめに考え出したのはまだ日本の学生で、卒業後は副手、その後は絵とは無関係の職についた事もありました。アートレジデンスとしてヨーロッパに住んでいた事もあります。家族の死、国際結婚、出産をアメリカで経験し、子供の障害と向き合い、そして乗り越える挑戦もしました。そして今もこのコロナ禍を超え、外国人、アジア人女性としてアメリカで生き続けています。そしてこのように数えきれない出来事が起こる人生の中でも、今も私は「絵と空間」について考え続けています。もはや物と空間の関係を考える事は私の一部となっています。
そしてもう一つ私が長く気になっていることがあります。それは昔から油彩を始める前に必ず自分でやっているキャンバス張りです。木枠にキャンバスを張る事は、毎朝息子や自分の身体をシャツに包む事、そしてそれから1日を始める時の気持ちを思い出させます。それが最近自分の古いシャツをモチーフにしている理由です。そして、そこには内側に私の形が、外側に私の日常が染み付いていると気が付きます。私の古いシャツは「絵」という枠に沿いながら、そのシワやゆがみの中に「私」という歴史を留めているのす。
そして今、作品のキャンバスを木枠から少し剥がしています。それはシャツの柔らかさを出したいという思いだけではなく、枠を離れて外の世界へ柔らかく繋がりたいと願っているからです。